印章の歴史
印章の起源は、約5,000年前のメソポタミア文明まで遡ります。メソポタミア文明を創り出したシュメール人は、円筒形の石や骨の側面に画像や文字を刻み、それを粘土の上に転がすことにより模様を浮き上がらせ、容器を封印していました。これを円筒印章(図1)といいます。
円筒印章には、すでに個人の認証という公的な機能が備わり、それを使用することは、高い地位を示すことでもありました。
メソポタミア文明に起源をもつ印章は、その後、エジプト・インダス・中国文明に伝わり、それは中国において特に目覚ましい発達をとげることになります。
中国の印章は、約3,200年前の商周時代に現れました。印章の材質は青銅(図2)で、それら初期の青銅璽印(じいん)は、“古鉥(こじ)”と総称されてい ます。紀元前246年、秦の始皇帝の天下統一により法律的な印章制度“印制”が確立、その後、皇帝の印章は“璽”、臣下の印章は“印”と名づけて区別されるようになりました。
青銅印章の製造法には、「鋳造」と、「鑿(ノミ)による刀刻」があり、同じものがいくつも出来ては困る「官印」などは、「鑿印」が多いといいます。周・ 秦・漢代の官印はすべて「鑿印」という説もあります。唐・宋以後の官印が鋳造なので、一般的には、周・秦・漢の官印も鋳造と思われているようです。古銅印 を見て、「鋳造印」か「鑿印」かを見分けることは容易ではありませんが、図3の印などは、青銅に鑿で直接文字を刻したことが一目瞭然です。印材は、青銅の他に、金や銀、玉(ぎょく)などがあります。印鈕(いんちゅう・つまみのこと)のデザインは、鼻鈕・壇鈕、瓦鈕、亀鈕、ラクダ鈕など様々です。
秦代、印章に使用された正式な文字は“篆書(てんしょ)”であり、これは秦の始皇帝が文字を“小篆(しょうてん)”に統一したことに因みます。中には、人物や動物が入った肖形印(図4)もあります。
次の漢代になっても、印章には篆書が用いられ、現在に至ってもなお篆刻(てんこく)には“篆書”が多く使われています。
特筆すべきことは、古代の印章とはいえ、すでに芸術的な創造性に富んでいて、現代の篆刻家をも凌駕していることです。デザインが古代人に先取りされているという面白い現象が篆刻にはあります。中には数千年前の印とは思えないユニークな印も(図5)。現代の篆刻家は、中国古代の印章から取りも直さず多くのヒン トを得ています。篆刻は現在、中国や台湾、日本、韓国などの国々で行われています。“四絶(しぜつ)”といえば「詩・書・画・篆刻」であり、篆刻は文人の嗜みの一つに入っています。
ところで、古代人が円筒印章を粘土に転がして使用したように、中国古代の青銅印章も、粘土に“圧す”ものでした。木簡文書を紐でしばり、その結び目に丸めた粘土を付着させ、その上から璽印を押さえつけて封緘していました。これを“封泥(ふうでい)”(図6)といいます。粘土で封緘することにより、第三者が開封することを防いだのです。鍵の代わりといえますね。現在のように、紙に印泥(朱肉)で鈐印する習慣は、ずっと後の隋代(581~619)に興った方法です。
また、篆刻が芸術の一つとして定着するのは、明代(1368~1644)の中期以降まで待たなければなりません。篆刻印には、姓名印(図7)、書斎印(図8)、雅号印(図9)、関防印、箴言印(図10)、吉語印(図11)、蔵書印、肖形印、家居印などがあります。
ちなみに、日本で公印が使われるようになったのは8世紀中葉で、それらは「大和古印」(図13)と呼ばれています。これらの印も青銅製ですが、大和古印は紙に押捺されました。
印材について
元代(1271~1368)になると、従来は青銅や水晶、玉など、硬い印材で作られていた印章が、「花乳石」という軟らかい石を用いて作られるようになります。硬い材質の印は専門の工人によるところが大きかったのですが、軟らかい石で印章を作る文化が発達すると、多くの人が彫刻可能となり、明代以降、篆刻 は文人の間に広まっていきます。石(図14)の他、木(図15)や竹根(図16)、陶磁、牙、角なども使われます。石の中には、田黄(でんおう)や鶏血 (けいけつ)などの極めて貴重なものもあり、収集や観賞の対象にもなっています。
印譜(いんぷ)について
印章を印泥で紙に押捺し、それらを綴じ合わせた本を「印譜(いんぷ)」(図17)といい、その始まりは宋代(960~1279)に遡ります。
宋代の金石学(青銅器や石碑に鋳込まれたり刻されたりした文字や文章を対象とする学問)が盛んになると、璽印は、青銅器とともに収集の対象となっていきました。研究のためには多くの印影を見較べる必要があり、この頃、「印譜」という本が作られるようになったといいます。
印譜製作は非常に手間がかかるため、一度に数十部しか作られませんが、実際に押捺(鈐印)された生の印影を見ることは、篆刻の研究には欠かせません。印刷と実押の印影では大きな差があります。
住所印の歴史
住所印(家居印)は自分がどこに住んでいるのかを示す印章です。
住所印は、古くは「上天竺深處(上天竺深きところ)」「家在黄山白雲之間(家は黄山白雲の間に在り)」というように、鳥瞰図的な場所を示すもので、実用的というよりも風雅な印章でした。このような風雅な家居印は中国宋代(960~1279)や元代(1271 ~1368)、明代(1368~1644)にさかのぼります。やがて「家は杭州西湖蘇堤北に在り」、日本では「家在東武数寄屋橋南」「家在牛門西二里(家は牛門〔牛込御門〕の西二里のところに在る)」「家在日本橋之西(家は日本橋の西に在り)」 「家在二条城東(家は二条城東に在り)」のようにやや具体的になり、現在は番地までハッキリと入れる実用的な印章になっています。今でも、「家は室生寺東に在り」というような印を篆書で作って、手紙などに、ちょっとしたデザインの一部として捺しても面白いと思いますよ。実用的な住所印を作る場合は、万人に読める文字で作る必要がありますので、楷書や行書、隷書で彫ることが望ましいと思います。篆書で作っても、今の時代、判読できる人はほとんどいません。
2010.4 中谷和玄 識















